田園都市線・宮崎台の「一生涯のキレイを手に入れる!子連れOKのベリーダンス教室」主宰のヤスミンです。
5月上旬に9日間、アメリカへダンスの勉強をしに行ってました。
たった9日間の滞在でしたが、踊りを愛するものとして大事なことを学んで帰ってきました。
その「学び」を短期滞在での出来事を振り返りつつまとめていきたいと思います。(前回記事はこちらになります。)
Banafshehのワークショップでは、虚飾を捨てて本来の自分を出すこと、それが「ダンスを生きる」ことであると自分自身に落とし込むことができました。
では、ダンスにおける「技術」とは、自分の本質を語るために必要なのでしょうか?
なんとなく、「技術」というと自分で自分を型にはめてしまいそうな先入観があります。
逆に、自由に踊るフリースタイルは、型にはまらない分「技術」がおざなりになっている気がします。
私がフリースタイルの自由さに惹かれつつも長い間距離を置いていたのは、20年以上前にフリースタイルを得意とするダンサーさんのワークショップを受けたときに、彼女のお弟子さんたちの踊りが傍目から見て「自由に踊っているけれど、客観的に観て響かないな。技術が無いからかな。」、と思ったからでした。
その時のことを友人のアーティストさんにしたときに、彼女はこう言いました。
「技術的に素晴らしくても、響かない人っています。観ていてツマラナイんですよね。」
「ヤスミンさんが観た『自由に踊っているけれど響かないダンサーさんたち』は、恐らく自由に踊っているように見えても実は『自分をよく見せようとしている』からツマラナイんですよ」
彼女の言葉は真意を突いているな、と思いました。
確かに、今回のワークショップで参加している方々の踊りを観てきましたが、一番私の心に残ったのはダンスの経験の殆ど無い方の即興舞(詩の朗読に合わせて踊られてました)だったのです。
彼女の踊りはシンプルで、でもなぜか揺さぶられる。
後で聞いた話ですが、彼女は当初亡くなられただんなさんとの思い出の曲で踊ろうと思ったのだそうです。
それが、曲が見つからなかったので急きょワークショップの参加者に頼んで「水」に関する詩を朗読してもらい、それに合わせて踊ったのだとか。
ああ、「彼女の想い」はダンスを通じて観ている人に届いていたのだ。
バイアスの入らない踊りは人の心に何かを残すのですね。
では、ダンスや他の芸術における「技術」の立ち位置って何なのでしょう?
Banafshehの言葉の中に、答えを見つけました。
「アートの中における『技術』は、もっと自由に飛ぶために必要なものです。『自由』と『技術』は、どちらかに偏るのではなく、両方が『結婚』することが大事なのです」
永年の疑問が溶けて、自分の目指す方向性を見つけた瞬間でした!
続く。
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