田園都市線・宮崎台の「一生涯のキレイを手に入れる!子連れOKのベリーダンス教室」主宰のヤスミンです。
発表会準備の真っ最中でちょっと更新に間が空いてしまいましたが、以前からブログに書きたいと思っていたテーマがあり、今日はその導入部分のお話をしたいと思います。
現在、ベリーダンスはカルチャースクールやスポーツクラブのメニューにも取り入れられているとてもポピュラーなダンスですね。また、芸術としても評価されて、世界各国の著名なダンサーさんたちが来日し、ショーやワークショップが開催されています。
こんな人気者のベリーダンスですが、私がこの踊りに初めて出逢った20数年ほど前はまだまだ認知度も低く、しかも「男性を誘うための露出度の高いセクシーな踊り」みたいな色眼鏡で見られていたように思います。
結婚後渡米してアメリカのベリーダンサーさんたちと交流するようになった1990年代、やたら耳にするようになったのは「Goddess(女神)」や「Divine(巫女)」という言葉でした。
ベリーダンスのルーツは「子孫繁栄と大地の豊穣を願って女神に捧げられた踊りである」、という説があり、アメリカのベリーダンサーさんたちは、その説を根拠に自分たちの踊りの「神聖性」を強調しているように思えました。(ダンサー名にも古代の女神の名前を使っている人、多かったです。)
それは、裏を返せば
ベリーダンスの対する偏見を払拭したい
、という気持ちの表れだったのかもしれません。
ベリーダンスがアメリカで披露されたのは1893年のシカゴ万博のときです。
その魅惑的な踊りはセンセーションを巻き起こし、バーレスクのショーホールなどでベリーダンスを真似た低俗な踊りが流行りました。このため、欧米社会では「ベリーダンス」はいかがわしいエロチックなダンスであるという固定観念が染みついてしまった、と言われています。
そんな偏見が残る中、ベリーダンスの芸術的価値を認め、地位向上に尽力した近現代のダンサーさんたちがいます。彼女たちの地道な努力が今のベリーダンスブームに繋がった、と言っても過言では無いと思います。
そして、その先駆者の一人が私の先生であるAnahid Sofianなのです。
今のベリーダンスブームの土台を作ってくれた先駆者の歩みを記録したい。
根強かった偏見に立ち向かっていった一人の女性のことを、日本のベリーダンサーさんたちに知ってもらいたい。
Anahidのことを、紹介したい!!
居ても立っても居られず先生に送ったラブコール。
80歳を超えてもなお現役で活躍し後進の指導にも忙しい先生ですが、私が投げる質問に回答する形で良ければ、と快諾してくださいました。
なので、今後不定期ではありますが、先生の歩みを振り返る記事をあげていきたいと思います。
【お願い】
今後Anahid Sofianに関する記事を不定期更新していきますが、文章や写真の無断転載は固くお断りいたします。