ベリーダンスの伝承者たち(その2)

前回の記事では、流浪の民ジプシー(ロマ)がベリーダンスの伝承に大きな役割を果たしてきたことについて書きました。

ジプシーが民衆を相手に踊ったのに対し、宮廷を始めとした上流社会にもお抱えのダンサーたちがいました。

上流社会で活躍したダンサーたちは国によって呼称があります。例えば…

アルメー(エジプト) 写真上
チェンギ(トルコ)
ノーチ(北インド)写真下
nautch

宮廷お抱えのダンサーである彼女たちは、高い教養を身に着けており、踊り以外にも歌や詩吟、楽器演奏などをたしなんだようです。

アルメーは前回記事で紹介したガワーズィーとともに、ベリーダンスの踊り手として有名です。

西洋人が初めて見たベリーダンスの踊り手であるガワーズィーは、そのあまりにも魅力的な踊りが災いとなって1834年、時の権力者ムハンマド・アリによって風紀を乱す存在として芸能活動を禁止されてしまいますが、追放されることを恐れたガワーズィーたちは、アルメーであると偽って踊り続けました。

その結果、西洋人にとってベリーダンサーといえば、ガワーズィーとアルメー両方を指すようになっていったのです。

民衆を楽しませ、王族をもてなしてきたベリーダンサーたち。
ベリーダンスの歴史を紐解いていくと、どの時代のどんな階層の人々も、この魅力的な踊りを求めてきたことがわかりますね。

西洋人の目に触れたベリーダンスは、彼らの追い求める「オリエンタリズム」を体現するかのように変貌を遂げていきます。次回記事では、「ベリーダンス衣装」を切り口に、西洋が与えた影響について書いていきたいと思います。

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