ベリーダンスの歴史に起きた大きな変化の波。
それは、ヨーロッパ人がベリーダンスを目にしたことから始まりました。
華やかでセクシーなベリーダンス衣装、実は西洋人の好みに合わせて作りだされたものだと知っていますか?
ナポレオンのエジプト遠征(1798)で初めてヨーロッパ人が目にしたベリーダンス、踊り手であるガワーズィー(前々回記事で登場)のコスチュームをまずご紹介しましょう。
???
私たちが目にするベリーダンス衣装とはずいぶん雰囲気が異なりますね。
ベリーダンスなのに、お腹を出していません。
続いて、エジプトと共にベリーダンスの中心地であるトルコの伝統的な衣装を観てみましょう。
こちらもやはり、ベリーダンス衣装っぽくないですね。
実は、現代のベリーダンス衣装の成り立ちというのは、西洋人の「東洋への憧れ・幻想」に強く影響を受けているんです。
植民地支配者である西洋人の好みに合うよう、「西洋人がエキゾチックだと思う」衣装へと変わっていった、というわけです。
20世紀初頭には、カイロでエジプト初のナイトクラブ「Casino-Opera」がオープンし、西洋人の好みに合わせた現代のベリーダンススタイルが生まれましたし、バレエや映画の世界でも、オリエンタル趣味が大流行しました。
この写真はクレオパトラを題材に1917年に公開された映画のものです。
このままベリーダンスが踊れそうな衣装ですね!
西洋がもたらした影響は、衣装に留まらずベリーダンスのダンススタイルをも大きく変えていきました。次回記事では、そのダンススタイルの変化について書いていきたいと思います。
【こちらの記事も併せてどうぞ】